死について

生きるは右足。死ぬは左足。

死とはなんでしょう?

私たちにとって、最後にやってくるアレ、なので普段はまったく縁遠いもの…?

そんな線香臭いこと、なんで若いうちに考えなきゃならんの…?

いえいえ。

そういうことじゃないんですよ。

死は実はすんごく大きな力なんです。

死について知らないことは大きな力を使っていないことなんですよ~(^-^)!!

以前、長田先生と対談をしたときにテ-プ起こしをした文書がありますので、シェアさせていただきたいと思います。

以下、「死について語ろう-田園調布、長田整形外科でのトークイベント-」より

つうり:死についてきくと、皆さんいろんな考えがあって、面白いですよね。

(ホワイトボード大きく書く)

死=変化
 
死は変化です。
普段私たちって普段なかなか死について考えないんですよね。
何故だと思いますか?
誰かが自殺したとか、大きな交通事故があったとか、親戚のおばさんが亡くなったとか、そんな話を私たちはよく聞くじゃないですか。
電車で人身事故がありましたとかね。
それを聞いても、たとえば、また時間が遅れたよ…なんて思うだけかもしれません。
だけど実際に人がそこで亡くなっている。
それでも人は自分に置き換えて考える事はなかなかしないですよね。
どうしてでしょうか…?
(つうり近くの参加者の方に聞く)
 
参加者:死というものを経験していないので、想像がつかないのかもしれません。
私は一昨年、妹を亡くしていますが、亡くなっても、肉体はまだそこにある気がするのですね。
でも私自身は死というものがどういうものか、わかっていません。
 
つうり:ありがとうございます。
その通りですよね。死後のことは誰もわかりませんよね…。
この中で手をあげていただいても、私は実際に死んだのでわかりますという人はいないと思います。
まあ、お迎えが近い方はいらっしゃるかもしれませんが…(会場、笑)。
実際に死んだ人は、ここには来ていない。
まあ、死者の霊は、あの辺にいるのが見えますが…。
(会場、笑)
冗談です(笑)。
 
死は変化です。
私たちがなぜ死のことを考えにくいかというと、変化することが怖いから。
死んじゃったら、どうなるかわからないですよね。
亡くなった人は生きている人とは変わってしまう。
話しかけても、反応ないし、答えてくれない。
死は理解不能な変化なんですね。
そして私たちもそうなるのが怖い。
そんなふうに変わってしまうのが怖い。
 
私たちは生きています。
そして生きているということは、変わらないことを求めることかもしれません。
そうですよね?
安定した仕事、安定した収入、安定した生活、娘も元気で、老後は安心で…そんなものを私たちは求めている。
それが変わらないこと
この変わり続ける不安定な世界だからこそ、変わらない安定をもとめているんです。
でも、私たちはたまに変わることを求められるんです。
怪我をしたり、病気になったり、そして最後には死がやってくる。
それが死の本質です。

だから、死というのは変化することなのです。
 
で、先ほど皆さんに体のストレッチしてもらいました。
(この講演の導入で、参加者の方に肩などのストレッチをしていただきました)

実は意図があってやっていただいたのですね。
身体が固い人=変化するのが怖い人です。
子供は身体が柔らかいでしょ?
どうしてあんなに柔らかいかわかりますか?
少し不思議な言い方をしますが…。
それは「毎日死んでいるから」なのですね。
子どもはものすごく細胞の入れかわりが早い。
脳細胞もどんどん生まれ変わるし、体の細胞もばんばん入れ代わる。
入れ代わるってことは、古い細胞はどんどん死んでいるってことですよね。
どんどん死ぬから、どんどん生まれている。
そして大人になってくると代謝が衰えてきて、昔やっていたことを繰り返すようになってきて、新しいことを求めなくなるんです。
そうすると、だんだん変化することを恐れる。そして体が硬くなる。
日常的に死を受け入れるということはどういうことかというと、変化し続けることを自分に許可することなんです。
子供は昨日のことに執着しないんですね。
殴り合いのけんかをして、おもちゃを取り合って、その瞬間、お互いにものすごく嫌いになっても、次の日ころっと忘れるじゃないですか。
あれは変化しているんですよ。
で、私たち大人はね、一度財産争いをしたら、その後30年ですよ(笑)
その恨みは確実に墓場までもっていきますよね。
手放すことを知らない。変わらないんです。
そうなると体が硬くなってきます。
大人になった私たちは変化することが怖いんです。
だからその先にある死が怖い。
 
死とは何か。
それは一番大きな変化なのです。

私たちがもう行き詰まっている自分を乗り換えて新しい自分になるとき、古い自分に死ななきゃいけない。
だけど、手放し方、死に方を誰も教えてくれない。
だから現代はある意味病んでいるのです。
適切な死の力、手放す力、変化の力を知らない現代の文化は非常に大きな危険をはらんでる。

断舎利ってあるじゃないですか?
最近はやっていますよね。
断舎利の山下さんの思想はヨガや禅から生まれているんですよね。
断舎利が何をやっているかというと手放す方向なのです。
そして片づけの延長線上にあるものは、実は死なのです。
断舎利とは日常に死を取り入れる方法なのですね。
 
私たちが毎日手放し続けていることを日常の中に取り入れていれば、死は怖くなくなります。
生きるは右足。死ぬは左足。

生きる生きるの片足だけじゃ進まないから、毎日手放す。

 
つまり毎日死ぬんです。
 
そうしていくと人生が楽しくなる。
 
生きること、得ることだけじゃなくて、日常的に手放すことの大切さを学んでいればどんどん人生に新しいことが入ってくるんですね…!
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